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小泉明の命運・職業会計人を目指す

 小泉明が、東京上野で会計事務所を開業したのは昭和22年のことでした。論語に


「15才で学問に志し、30になって独立した立場を持ち、40になってあれこれ迷わず、50になって天命をわきまえ、 60になって人の言葉が素直に聞かれ、70になると思うままにふるまって、それで道をはずれないようになった。」

とありますが、本年(1999年)11月で満74才になる生来愚昧の私などには及ぶべくもない境涯です。そんな私がどうして職業会計人への志を抱いたのか?少し大げさな表現になるかもしれませんが、私の少年時代に、日頃から父が口にしていた「言葉」が大きく影響していたと思われます。
 私は大正14年11月11日に東京・浅草で生まれました。生家の本家は、徳川前期から江戸に住んでいて、明治17年頃から煉瓦製造工場を営んでいました。この工場は私の父である八次郎が20代半ばの頃(大正初期)から衰退してきたようで、ついには没落してしまい、私が幼児の頃には、父はすでに土木請負・土木工事材料販売業に転じておりました。
 その父が少年の私によく言っていたのは、わが国で一、二を争う煉瓦工場が、店仕舞いをしなければならなかったのは「経理を商売の土台に据えて経営を考えるという考えが、一族のほとんどの者に希薄だったからだ」ということでした。「経理が乱脈では駄目だぞ」と繰り返していた父の言葉が、いつのまにか私の意識に沈潜していたようでした。
 父がいつも繰り返し言っていた「経理」という言葉から、私の心の中にはいつのまにか「会計」への関心が根づいていたのでしょうか。この私の「会計」に対する関心が、小泉明会計事務所・東京上野小泉会計の開業へとつながり、私の生涯の職業生活となりました。開業して50年を経た今日この頃、この道筋を歩んできたことは天の定めたことであり、人間の力を超えた運命であると思う気持ちがたいへんに強くなってきました。振返ってみれば、この気持ちは50年の間にも、常日頃、脳裏から消えたことはなかったようです。
 内向的性格で他人の言動を気にし、ありもしないことを思い煩って自分を痛めつけてきた自分は本当に弱い人間だったと思います。しかしそこからいくらかでも抜け出せたのは、最低の物質生活を維持しなければならないというささやかな責任感と、そしてそれ以上に私を励まし続けてきた、私の脳裏に沈潜していた父の言葉だったと思うのです。
 そして感謝すべきことは、若い人間としての成長過程で深くかかわった上長の方や友人達、長じて社会活動の中で強い影響を与えてくれた先輩や友人の人々、そして肉親も含め多くの人間同士の付き合いから示され、教えられ、そして導かれたことです。
 私が今日ここに提起する「ニュー合資会社経営のパラダイム」は、私個人ひとりが形成した「意思」の投影ではなく、私が読書で追体験できた先賢・先達の導きや、先輩・友人の教えによるものであり、私の74年の人生に関わりを頂いた数多くの国内外の方々の啓示の賜物であります。
 日本経済の基盤である中小企業。その中核としての同族小経営の防衛(存続と繁栄)のために、「ニュー合資会社経営のパラダイム」が日本経済の再構築の一端を担うべく、理念と実行の全体系を総覧して活動を開始しました。
 大方の方々のご理解とご支援を願い上げます。

初心不志・原点回帰の教え



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